「リップヴァンウィンクルの花嫁」

『致死量寸前の毒を飲まされ、その薬を3時間かけてちびちびと飲んでいく』
そんな映画「リップヴァンウィンクルの花嫁」の感想を書こうと思う。

最初の1時間でわたしは毒を飲まされた。

毒の成分は、黒木華の女性像がわたしと正反対だったこと。自分は自意識がはっきりとしていて基本的に自由で、彼女みたいな人が存在することももちろん分かっていたけど、黒木華が不遇な目に遭うのを見ていると本人の自覚の問題を責めたくなったり、そのような目に遭わせる極悪人の存在にイライラしてしまう。苦しかった。

あと、黒木華バイタリティがない。わたしは楽しいという感情はもちろん、悲しみや怒りならなおさらそれがエネルギーとなって行動するのに、宿で小さく「ちくしょう」「ばかやろう」なのか・・・唖然としてしまった。

 

もう一つの毒は、三半規管が弱いから気づいたことなのだけど黒木華が迷い、自分が自分のものでなくなるような時間に訪れる岩井俊二の撮影方法。彼女の迷いや心の乱れを表すかのようにぐるんぐるんと目まぐるしく、画面が震えたりする。わたしは気分がすぐに悪くなって吐きそうになった。本当に体に作用してる毒だった。

 

旦那と別れ、家を出て行き、誰かのものではなくなったけどどうしようもなく自分を見失ってしまい、穏やかなクラシックが流れるゆっくりとしたシーンでやっと息ができた。今思うとここでやっと薬をもらえたけど、何しろ致死量を飲んでしまったので痺れて薬が少しずつしか飲めない。

 

そこからcoccoとの再会や館での生活が始まるが、少しの不安もありつつなんとなく笑ったり生活したりしているので目まぐるしいカットはない。時間差で薬が体に回り始めた気がした。

 

クラゲなど毒を持つ生物がたくさんいたのはcoccoの死に方の迷いを投影している気がした。毒で死ぬとは決めていたけど、一緒に死んでくれる人を探したり、どんな人がいいか考えたり、そんなことを考えながら猛毒生物を通販で購入していたのかな。

 

黒木華は一回は自分が何者かわからなくなったが、誰かのために生まれてきて、それを嬉しいと感じるようになっていく。その相手はcoccoで、性格や歩いてきた道が真反対でも、自信のないところが似ていたり、必要としたりされたり凹凸がはまるところがあって。そこまでの道程がどんなに悲しくても、最後この人に会うために生まれてきたんだなと思えることは幸せだなと思う。自分の人生もどうかそうあって欲しい。

 

綾野剛黒木華のそんな必要とされたい気持ちを見抜いていて、coccoに彼女と会うように仕向けたんだろう。最初めっちゃ怪しいって疑ってごめんね。クラゲのようにゆらゆら揺れる存在でも誰かにとって救いになれるのだ、むしろゆらゆらしていたからこそ彼女は誰かの救いになれたんだな、とここでやっと冒頭の彼女へ感じていた憤りがスッと消え、同時にハッとさせられた。誰だって誰かのための存在になれるのだ。

 

2匹のベラは彼女たちのようで、全てを知る綾野剛は片方のベラが泳ぐグラスからもう片方のグラスへと水を移した。それは彼女たちの依存の仕方と同じで、黒木華が優しさを与え、水を得た魚のようにcoccoは死ぬ直前まで泳げたのだと思う。

 

死ぬ前にcoccoはこの世は幸せで溢れていて、どうして自分なんかのために人は優しくしてくれているか分からないし壊れそうになるから、お金を払うといっていた。私はその考えを違う、違うよcocco、それは不幸せなことだ・・・と思いながら眺めた。でも、そもそも彼女が母親から優しさを与えられていなかったから自分のことを卑下してこの世は幸せで溢れていると考えたり、死期を悟らなければそのありがたさに気づくこともなかったと思うと、ため息が出るぐらいアイロニカルな存在だな、と。

わたしの母方の祖母はとにかく意地が悪い女で、わたしのこともわたしの母のこともたくさん虐めたりしていたのだけど、一回心臓を悪くして死亡率15%の手術を受けた時があった。ある日、母親が大きな病院で寝ている祖母のお見舞いに行った時「今までたくさん迷惑をかけてきてごめん」と母に言ったらしい。やり方を間違えていただけで、母の母として、わたしの祖母として、彼女はわたし達を愛し、ありがたみを感じていたのかもしれない。

 

そして結局coccoはその日の夜に貝の毒で死んでしまう。それまでずっと安らかなシーンが続き、見ているこちらはようやく薬が体全体に回り、頭痛も治まってきたというのにそんな皮肉があるんだな。

 

どんなに自意識が強くとも、自分しかいないと思っても死んでしまったら存在は消えてしまうし、どんなに彼女と同じように服を脱いでみたり猫のように自由な存在になって追体験してみても安心はするかもしれないが彼女について分からない領域というのは存在するのだ。でもそれが生きている間は分からないから全部死んだ後になってしまう、そこがとても悲しくて人間らしい。

 

永い言い訳をこの映画を観る前に観たのだけど同じような感想を得た。忘れてしまうのは怖いな、と思って映画の感想を文章にきちんと書き留めておくことにしていこうと思った矢先に、永い言い訳のことを文章にするのを忘れていてリップヴァンウィンクルの花嫁で思い出させられた。つくづく皮肉的だな、と思う夜だった。