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宮崎夏次系「ホーリータウン」

宮崎夏次系「ホーリータウン」知らぬ誰かの悲しみに寄り添うために

 

下北沢のヴィレッジヴァンガードで、まだ読んでいない、と思って手にとった。

「変身のニュース」のエミリの話が好きで、そこから宮崎夏次系の作品は借りたり買ったりして読んでいる。これまでに夏次系は短編集の作品が多く、「ホーリータウン」も短編集といえば短編集なのだが作者初の連作集になっている。連作って、浅野いにおがよくやってるやつだ。

 

 

ところでエミリの話が好きなのは、明確に実体験と繋がるから。正確に言うとわたしの母の実体験だけど。

わたしの母は祖母の介護をしている。いや、していた、という方が正しい。母は介護生活の末に祖母を病院に入れたのだ。認知症で虚言・妄言を吐くようになり、母はいつもの通院を装って祖母を入院させるため病院へ連れて行った。病室の奥に行きましょう、と看護婦さんに促された時、祖母は目に涙を浮かべていた。

 

 

 

夏次系の作品は起こっていることはとても非現実なのに、誰かの現実をたくさん集めているから胸に詰まされるんじゃないか、と思う。話が違っても、こんな風な思いをいつかのわたしのようにみんなどこかで抱えているんじゃないか。ホーリータウンにもたくさんのわたしたちの現実が棲んでいて、巨人のしゃれこうべが埋められた丘があったり、頭からちくわが生えているクラスメイトがいたりするのに、そこにはどうしても切なくなるわたしたちの現実が潜んでいる。

 

 

事実、わたしたちはそんなにいっぺんに現実を抱えきれない。母が祖母を病院に置いてきたことだけでわたしは精一杯で、今回も街の現実を一気に読み進めることはできなかった。登場人物のことばを考えていると、我ながら豊かな感受性を持つゆえ?電車の中で吐きそうになる。

 

 

想像だけでは足りないこともあるが、この世界のどこかに潜んでいるような現実を見ることで、知らぬ誰かの悲しみに寄り添えるんだろう。知るべき悲しみなのか、それはわからないけど。優しくいれるなら優しくいたい。「変身のニュース」がわたしに寄り添ってくれたように。

 

 

知らぬ誰かの悲しみの前に、エミリがおほしさまになる前に、できるだけわたしは母と祖母のそばにいたい、と思いながら東京でこんな感想を書いている。不器用なわたしの部屋の本棚にまた一つお気に入りの漫画が加わった。